はじめまして。大学受験予備校/専門塾 九大研の塾長・児玉です。

九大研ができた理由は、私の高校時代にさかのぼります。

私は今、大学受験の指導をしておりますので、「高校生のころは、すごく勉強できたんだろう」と思われることも多いのですが、実態は全くの逆です。

恥ずかしながら、留年しかかったことがあります。

行ける国立大なんてないんじゃないか」、と友達のお母さんにまで言われたことがあります。

なぜ、そんなヒドいことになっていたのか、ひとつずつお話ししていきます。

ボロボロの高校時代

一応、地元では優秀といわれる進学校には進みました。それも、入学したときにはいいほうに入っていたはずなのです。
勉強には多少自信もありました。
でも、最初の中間テストでは、だいたいの教科が平均点前後。得意な国語と、好きな生物がちょっといいぐらいでした。

このあたりから、徐々に勉強へのやる気がなくなり、英語と数学の点数がガラガラと音を立てるように下がっていきました
いつの間にか平均点を割るようになりました。

さらにひどくなって、赤点も何度となく見るようになりました
居残り補習の常連にもなりました。
そのどれも、一度目はびっくりしますが、二度目は仕方ないかという気持ちになり、やがてそんなもんだよね、と思うようになりました。
勉強は、できなくなるとそれが当たり前になってしまうもので、自分でもなかばあきらめが入ってきていました

なにをすれば、マシになるのか、どうすればいいかもわからず、勉強が手につきませんでした。
テスト勉強をこれなら絶対ほかの人には負けない、というくらいがんばったこともありますが、いつもよりほんのちょっといいくらいのもので、たいして伸びませんでした

この状態から抜け出せなくなる人がたくさんいることも知っていました。そうなると、できないまま高校を出て、なんとなく行ける大学に行くことになることも、なんとなくわかっていました。

高1の終わりごろだったと思いますが、母が「保護者会でI君(私の友人)のお母さんに『児玉くん、国立大は無理なんじゃない?』って言われて、ちょっとショックだったよ」
と言ってきました。そのあと母と何を喋ったかは覚えていませんが、その一言だけは強烈に記憶に残っています。

赤点どころか欠点

そんな高校生活にも転機が訪れました。

高校2年生の7月のある日、英語の先生から、何人かの名前とともに、「児玉、この後ちょっと職員室に来い」と言われました。
「あいつら、なんか悪いことでもしたのか?」
とでも言いたげなクラスメイトの視線を感じつつ職員室に行ってみると、成績の話でした。言われたことは、要約すれば

「テストの出来も悪かったし、平常点でも救済できないから、英語の1学期の成績は2な。」でした。
これ、2といっても10段階評価の2です。

時代なのか地域差なのかはわかりませんが、私が通っていた高校では学期ごとの成績は10段階評価でしたから、2で割っておなじみの5段階評価にすると、1ということになります。
つまり“欠点”ということであり、「学年末までに挽回しなければ留年」ということでした。そういう警告だったのです。

そう言われて怖気づいたとは思われなくなかったので、表面上は平静を装って、「はい。わかりました」と、そっけなく返事をしましたが、内心はバクバクで、一体どうしよう、親に絶対なんか言われる。なんて言おう、とずっと考えていました。

そのときの通知表の一部がこんな感じです。2で割っておなじみの5段階評価に換算すると、どれほどひどいかわかってもらえると思います。

英語Aがコミュ英、英語Bが英表に相当。
5段階換算だとコミュ英が1、英表が3。
数IIは2と3の間で数Bが2。

英語と数学だけですが、その主要2科目がこれでは、仮に他の教科がオール10だったとしても国立大どころか「行ける大学があるかどうか怪しい」というものです。
悔しいけれど、言われた通りなのです。
そして実際には、他教科がオール10なんてことはありません。

気が動転していたのか、その日どうやって家に帰ったのかもよく覚えていませんが、とにかく「これからどうしよう」ということだけが頭の中でぐるぐるしていたのは覚えています。
それまで、テスト勉強をがんばっても、あまりうまくいったことがなかったのです。
なのに、「次のテストで挽回しろ」と言われても、どうしたらいいかわかるはずもありません

成績のどん底で

ともかく家に帰り、ふとんに寝転がってもずっと「どうしよう……」と悩みにすらなっていない状態で頭を抱えていました。
そのときふと、「そういえば、あの本……」とひらめくものがありました。

その本は、以前、母が「こういうやり方があんたには向いていると思う」というようなことを言って買ってきた勉強のやり方の本でした。
はじめて見せられたときには、なんとなく流し読みして「悪くないかもね」くらいの気持ちで放っておいた本でしたが、「もしかして、役に立つかも」と思い、両親とも不在なのをいいことに、リビングにあった母の本棚をひっかきまわして探しだしました。

探しだしたその本は、実は受験勉強のやり方の本で、「(この状況では)役に立たん!」と思ったものの、そんな本でも自分で悩みつづけるよりははるかにマシかと考え直し、読んでみることにしました。

あまり期待していなかったのですが、読んでみたら思ったよりはるかに面白かったので、次の日から書店で勉強法の本をいくつか買い込み、読んでいきました。(幸運にも、ちょうど東大受験マンガ『ドラゴン桜』が流行った頃で、書店にも勉強法の本が今よりたくさん並んでいたのです。もちろん『ドラゴン桜』も読みました)

たくさん読んでみると、多くの本が共通して

  • 目標を立てろ
  • 目標に合わせて戦略を立てて努力しろ
  • できなくなったところまで戻って復習しろ
  • 受験に必要なことだけやれ
  • 定期テストはその場しのぎでOK

と言っていたので、それに忠実に勉強していくことにしました。
次の定期テストをなんとかしないといけないと思っていたはずなのに、いつの間にか受験勉強を始めることになっていました。

これは今さら思い返して「あれ?」と思うのですが、当時の自分としては、このやり方が性に合いそうで希望が持てたことと、テストはその場しのぎでOKと言われ安心したことと(その場しのぎのやり方もわかったし)、そしてなによりもう1年半後には受験が迫っていたことで、テスト勉強ではなく受験勉強をはじめようと考えたのだろうと思います。

定期テストを諦め、受験に一直線

受験勉強を始めるのに、まず、目標を決めました。

このとき決めた目標は、東京大学理科2類

この話をすると、決まって、「(落ちこぼれかけたやつが東大狙うなんて)そんなレベルの高い高校だったの?」とか、「家の方針とか?」の2つのどちらかを聞かれてしまうので先に答えておきますが、そのいずれでもありません

私の通っていた高校は「広島ではトップだけど」くらいのレベルですから、福岡の御三家とあまり変わりません。ただ地元志向がとても弱く、ちょっとできる人はすぐ東大、京大を目指すというちがいがあるくらいです。そういう空気の影響は受けていたと思いますが。

あと私の両親は、「大学は別にどこでもいいけど国立だと助かる」くらいの考えの持ち主でした。
だから、東大を目指すことにしたのは、純粋に戦略的なものです。

どういうことかと言いますと、
このとき、私の得意な教科は、化学と生物と国語苦手なものはもちろん英語と数学です。それで仮に地元の広大を受けるとすると、二次試験の配点が

英語400 数学400 化学200 生物200

ですから、配点の3分の2が苦手科目になってしまいます。理系にいる限り、九大をはじめ他の大学も似たようなものです。
だからといって文転すると理科が活かせません。

でも、東大だと二次試験に国語があるので

英語120 数学120 化学60 生物60 国語80

という配点になり、得意な3つで約半分(正確には11分の5)、苦手な英・数が約半分の比率になります。
そして2次試験は半分強とれればよいのですから、東大というレベルに怖さを感じつつも「まだ可能性があるのでは?」と考えました。

とはいえ、センター試験で8割くらいはとっておかないと足切りにかかりますので、英語も数学もやらないわけにはいきません。
そこで計画を立て、この2教科を中心に勉強をはじめました。英語は自分でできる気がしませんでしたので、塾にも通わせてもらいました。
具体的な勉強のしかたも、ずいぶん本から学んでいましたし、英語のカリキュラムも(いまの塾講師になった自分の目から見ても)本当にすばらしく、また自分にあっていたので、正直、とても効率はよかったはずです。

1年経って、やっと伸びはじめる

でも、いったんガラガラと崩れてしまった英語と数学を立て直すのには大変な時間がかかりました
1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月経っても、成績はほとんど変化しませんでした。

半年経っても、あまり変わってきた実感はありませんでした。(ともかく暗記とその場しのぎで留年だけは回避できましたが。)

1年経った高3の夏に、やっと「できてきた」実感はわいてきましたが、当然まだ同級生に追いつくほどには至っていません。

そうかと思えば、高3の秋にもなって、模試の数学で2点をとってしまいました。(もちろん、10点満点とかではありません。まあ、10点満点だったとしても大変な点数ですが……)結果を見た友達には爆笑されましたが、自分でも笑うしかなく、むしろヤケクソで見せびらかしていたような記憶もあります。

その模試を返されたのは11月の半ばだったと思います。

数学が2点だったのはもちろんのこと、得点源にしているはずの科目(国語と理科)も軒並み半分以下しかとれなくて、

「やっぱり無理なんじゃないか」

「志望が高すぎるんだろうか……」

と思い悩みました。一時は志望を下げようかとも思いました。

とはいえ、「理系で国語を二次試験の得点源として使う」という戦略を立ててしまった以上、へたに志望を変えられないのです。だから本当にこれでいいのか悩みながら、立てた計画に従って勉強だけは続けました。

ところがそうこうしていると、11月の終わりぐらいから、なんとなくだけど英語や数学の入試問題が解ける感じがしてきました。

あくまでなんとなくなので、別にドラマチックでもなんでもないのが残念ですが、実際に点数も上がっていました。たとえば、センター試験の過去問なら、英語がそれまで6割もとれなかったのが6割台後半になった、といった感じです。

最後の1ヶ月で急激に

しかし、センター本番まであと1ヶ月半しかないのに、あと2割くらい上げないといけませんでした。

「本当に間に合うんだろうか。」

あとで聞いた話では、自分以上に周り(両親や先生)のほうが心配していたようです。が、その心配をよそに点数はどんどん上がっていきました。だいたい、

 ▶ 冬休みに入ったころ

  英 130/200   数IAIIB 140/200

 ▶ 12月のおわり

  英 145/200   数IAIIB 165/200

 ▶ 冬休みのおわり

  英 170/200   数IAIIB 180/200

といった感じだったと記憶しています。

今、改めて書いてみれば
「すごい上がり方!」
と自分でも思います。ですが、当時の自分としては、毎日1日中、過去問・実戦問と向きあって苦しんでいたこともあって、
なんとか間に合った……
という安堵感の方が強かったです。実際、できるようになったという高揚感はほとんどありませんでした。

そしてセンター試験本番を迎えます。

結果はと言うと……英語が188点(!)、数学IAが47点(?)、IIBが79点でした。定期テストで赤点をとり、居残り補習の常連で、通知表では10段階評価で2をとってしまった英語が、本番では9割をこえました
ちなみに数学IAが47点だったのは、IAではなくIのほうを解いてしまった、という本当にしょうもないミスのせいです。テスト中に気づいたから0点にはならずにすみましたが……。あとで解き直してみたら、80点ぐらいはとれていました。本当に惜しいことをしたものです。

そういう、つまらない失点はありましたが、それでも全体としては87%くらいあったので、予定通り前期は東大理科2類に出願しました。
後期はかなり迷ったのですが、九大理学部化学科に。二次の科目が自分の得意な化学1科目だけだったのが決め手でした。

そして合格発表の日……

結果として、前期は不合格でした。

合格まであと2.78点。惜しくも……という不合格でした。負け惜しみにしかなりませんが、センター試験のしょうもないミスさえなければ、ギリギリで合格していたことになります。

もちろん、不合格は不合格なのですが。
でも、この結果を言いにいったときの数学の先生の驚いた顔は今でもはっきりとおぼえています。

児玉 東大落ちました
数学の先生 そりゃ、そうじゃろ
児玉 あと2.78点だったんですけどね……
数学の先生 2点!

と叫んで、まさに「目玉が飛び出す」という表情でした。それくらい先生にとっては信じられないことだったのだろうと思います。数学は最後まであきらかに落ちこぼれでしたからね。落ちてるのに、なんか喜ばしい気になったものです。

後期で九大合格、それも……

その2日後、後期で九大を受けて、ここでは合格しました
私としては、得意科目だけの試験とはいえ「なんとか拾ってもらった」という感覚だったのですが、成績開示してみてびっくり。

なんと400点/400点満点で、一緒に開示しに行った友達も驚いていましたが、受け取った自分が一番びっくりしました。いくら得意科目とは言え、記述試験で満点が取れるとは思っていませんでしたから。しかも九大の後期で。こればっかりは運が良かったと思っています。狙ってとれるようなものではありませんから。

ところで、この受験結果の話をするといつも、
「赤点をとっていたのに、東大をギリギリで落ちて、後期で九大に通るなんて、やっぱりもともと頭が良かったんですよ」
とか、
「やっぱり凄い人だったんですね」
という反応が返ってきてしまいます。

塾講師というのは人気商売の側面もありますから、
「頭のいい人」「凄い人」
と思われること自体は悪いことではないのですが、自分ではどうしても自分が「頭のいい人」だとは思えないのです。

もちろん、「まったくの平凡な頭」なのかというと、そうではないのかもしれません。(一応にも、地元でいちばんの進学校には通っていましたし。)

ですが、少なくともその高校の中では平凡以下の成績、もっと言えば落ちこぼれだったわけです。それが頭のいいやつの取る成績だとはどうしても思えません。

それに、もし本当に頭が良かったのだとしたら、そもそも普通に勉強して赤点をとることはないはずなのです。(あなたの同級生の「頭のいい人」が高1や高2のうちから赤点をとっているところは想像できないのではないでしょうか。)

そんなわけで、結論としては、
進学校の中では凡人か、それ以下
程度だっただろうと考えざるを得ません。

凡人がこんな結果を残せた理由

だからもし、
「『進学校の凡人以下』な頭のデキなのだとしたら、ふつうは、『東大をギリギリで落ちて、九大に後期で通る』というほどの結果にはならないと思うんですが、何が他の人とちがったのですか?」
と問われたとすれば、こう答えると思います。

もし私にほかの人とのちがいがあるとすれば、それはたぶん次の2つのどちらかです。

ひとつめは、暗記すること、記憶することが非常に苦手だったということです。20個の単語テストが良くて8個も正解しないくらいには苦手でした。
 苦手だったので、逆に、暗記しなくてもすむように
コツをつかむまで考え、質問する
「自分の理解を先生に説明し、あっているか確認する」
記憶のしかたを工夫する
というクセがつきました。そうでもしないと覚えられなかった、とも言えますが、このクセが受験勉強において役に立ったのは確かです。

もうひとつは、情報です。
半分くらいは幸運(親のおかげ)によるものですが、「勉強のしかた」をどうすればいいかという情報にふれてから受験勉強にとりかかることができたことです。

実際、九大研のある講師にこの話をしたとき、
「ふつう、“なにかの科目ができない”ってなったら、いろいろその科目の参考書を買うか、塾に行くかして、とりあえずその科目を勉強するはずなんです。
はじめに勉強のやりかたに行く人って珍しいと思いますね。少なくとも自分の周りにはそういう人はいませんでした。」
と言われましたし、たしかにあのとき「受験勉強のやりかた」の本に巡りあわなかったら、たぶん、こういう結果にはなっていなかっただろうと思います。

だから今、私は「受験勉強のやりかた」を伝えて、勉強に悩んでいる高校生の助けになりたいと思って、塾をやっているのです……と言えばシンプルでわかりやすい(あるいは、ありがちな)話なのですが、実はもう少し話のつづきがあるのです。

といいますか、もしそれだけでうまくいくなら、正直に言って私は今この仕事をしていなかったと思います。私が読んだものも含め、たくさん名著があるわけですから、「それを読んでもらえればおしまい」ということになってしまいます。私の存在意義はありません。

また大失敗

ですが以前、私が大学生になってアルバイトで塾講師をはじめたころは、
「勉強のやりかたが一番大切! そこを変えればうまくいくはず!」
と、無邪気に信じていました。
だから、受け持った生徒さんには、自分が読んだ本を貸してあげたり、勉強の計画をせっせと立ててあげたりと、熱心にやっていました。

ところが、困ったことにそれがまるでうまくいかないのです。
成績に出てこないだけでなく、生徒さんを困らせてしまったことも一度や二度ではありません。

それで参ってしまって、
「なんで、うまくいかないんだろう?」
と思って考えたり聞いたりしていくと、いくつかの理由があることがわかりました。

中でも代表的なものが2つあって、
ひとつめは「できない理由は人それぞれ」ということ。
自分ができるようになった方法でも、できない理由が違えば同じ方法ではうまくいかないということです。そのことにまだ気づいていませんでした。

今なら「なんてアホな」と思えますが、「大学生になりたてだと、そんなもの」なのかもしれません。

もうひとつは、これが最大の理由なのですが、そもそも私が読んできたような「受験勉強のやりかたの本」に書いてあるやりかたが、福岡の(あるいは九州の)高校生の事情に合っていなかった、ということです

というのは……

そういった本は、主に(読者=人口の多い)首都圏や関西圏の事情に合わせて書かれています。これ自体は、本を出す上では仕方のないことです。

ですが、実は首都圏や関西の高校生の学校生活は、九州とは大きく異なります。たとえば、首都圏でも関西でも、高校に朝課外はほとんどありません放課後課外もあまりやっていません。ないところもあるくらいです。
だから、そこの高校生は、自分で勉強する、あるいは塾で勉強するといった時間をたっぷりとれます。
ついでに言うと、私の通っていた(広島の)高校もそんな感じだったので、本で読んだ具体的なやりかたをそのまま使っても問題なくやれました。

でも福岡では、そうはいきません。いまさら私が言うまでもないですが、課外がたくさんあって、比較にならないくらい忙しいです。

だから、本を読んで、具体的なやりかたをそのまま使おうとしても、

  • 時間がなさすぎてできない
  • やるべきことが多すぎてパンクしてしまう

ということになって、うまくいかなかったのです。

とはいえ、勘違いしないでほしいのですが、使えないのは具体的なやりかただけであって、本質的なことまで無意味になるわけではありません。たとえば、

  • 志望校を決め、点数で目標を立てる
  • それに合わせて、計画を立てて勉強する
  • 自分のために勉強する

といったことは、どんな高校生の受験勉強にも大切なことです。もちろん、福岡の高校生にもです。

だから、私は、具体的なやりかたには無理があるとわかっても、なんとかこの「本質」は応用できないものか、と考えるようになりました。
もっと言えば、「本質」を活かしつつ、福岡の高校生に合った勉強方法は作れないか、と考えていました。

どう考えたのか、経緯は省きますが、結果的にできたのは次のようなものでした。

  • 志望校を決め、点数で目標を立てる
  • それに合わせて、計画を立てて勉強する

ここまでは同じです。でも、計画の作り方を変えました。学校や塾を使いこなせば、やるべき量は劇的に減っていくことに気付いたわけです。
たとえば、

  • せっかく学校でたくさん課外をやってくれるのだから、得意教科なら徹底的に使いこなす
  • とても苦手なものは、塾で教わることでなるべく早く、最小限の労力でわかるようにする。

ほかにもありますが、そういった学校と塾の使いこなしをふまえて、ここは学校でやる、ここは自分でやる、ここは塾でやる、と切り分けていくことにしました。

気付いてしまえば、シンプルなものです。ですがこのやり方を試してみると、正直、かなりうまくいきました。

自分でやるしかない

ところが、ここでさらに問題がありました
このやり方、すでに受け持っている生徒一人二人で試すのならともかく、一介のアルバイト講師の身でどんどん広げていくのはとても難しいのです。

というのは、このやり方に沿っていくと、塾で教えるべきものが減っていきます。ですが、上司である塾の教室責任者としては、
「なるべくたくさん授業をとってほしい」
のです。夏休みや冬休みのたびに、授業を増やしてほしいと考えて面談をする人も少なくありません(本当にそれが役に立つ状況もありますが、だいたいはノルマの関係です)。それを大学生のアルバイトが
「必要な分だけでいいでしょ」
ということになる方法を採用してくれといっても、通るはずがありません。

それで、いずれは自分でやるしかないのだと思いました。

その「いずれ」は、意外と早くやってきました。
折しも、私の大学生時代は九大が伊都キャンパスへの移転をしていた時期でした。そのころ伊都キャンパスの周辺の人と話すと、「九大は近くて遠い」とよく言われたものです。場所的には近いが、合格するのは遠い、ということです。

この状況に、九大生としてなにかできることがあるかもしれない。
単に勉強の面倒を見るような場を作るのでもいいけれど、もしかして、自分の考えてきたことが使えるのではないか?

そうしたら、せっかく地元にきた九大に行きたいと思っている高校生と、自分のように勉強で困っている高校生の力になれる塾を作れるんじゃないか?

そういった考えがつながって、伊都キャンパスの地元の人たちの後押しをうけることになりました。

また、自分では教えられない教科を教えてくれる先生を探し始めました。いくら戦略がうまくいっても、それに基づいて教えてくれる先生がいないと、具体的な成果にはつながりません。

考えに共感してくれたのか、何がよかったのかはわかりません。個人的な伝手からたどっていっただけなのに、みんな大学生か大学院生だったのに、凄まじく良い先生たちが集まってくれました。自画自賛みたいですけど、本当に凄かったのです。このときのメンバーの半分が、いまも九大研の主軸を担っているのですから。
あと、建物の改装も九大生メインでやりました。

こうして、構想1年、伊都キャンパスの近くで自分で塾を開くことになったのです。これが九大研です。

ふたたび、合格発表の日……

その翌年の3月8日。

自分が考えるすべてを尽くして指導をした、九大研のはじめての卒業生が、九大に合格しました。それも、模試では秋まで(私が見せてもらった結果の範囲でですけど)D判定とE判定しかとっていなかった高3生でした。

それ以降も、高3の夏までE判定やD判定しかとったことのなかった生徒が、九大をはじめとする国立大に現役合格しています。
(そのうちの1人のお話がこちら⇒数学が400人中398番、高3夏までずっとD判定だった女子高生が九大法学部に現役合格した話

次はあなたが、先輩たちやかつての私自身に続いて、逆転合格を勝ち取る番です。

九大研は、いますでに勉強ができる人だけのためにあるのではありません。
点数的に届きそうになくても、あるいはいまできない科目、苦手な科目があったとしても行きたい大学がある、そんなあなたのためにこそあります。

九大研 塾長
児玉隼斗

大学受験研究家・予備校講師。

広島学院高校卒・九大理学部卒。
学歴だけはそれなりに見えるが実際はまったくの逆で、高校時代は英語と数学で赤点を取りまくった落ちこぼれ

それだけに高校に入って勉強に困っている人の指導には強く、そういう人の受験を応援するためにも、九大大学院在学中に九大研を開校する。(その詳しい話はこちら